Edit your comment NAME TITLE WEBSITE COMMENT No Farには賛同いたします。昔は妻にコートを買いましたから、完全にそれを貫いてきたわけではありませんが、今後は、決して買わないでしょう。(正確には買えないでしょう)。菜食主義ではないので、真面目につきつめると、甚だ疑問がわいてくることもあります。牛革製品は、食料の残りを有効利用するのだからかまわないか。だけど、三味線の皮は、病気で死んだ猫の皮などでは、ろくな音がしないだろうから、元気ハツラツな若いか壮年の猫を犠牲にしているのだろうと思うのです。たまたま、テレビで三味線つくりの名人の番組を見ていて、余りにも立派なことをしているように語られると、棹の製作等に年季の入った修練の程には感心させられましたが、あなたは、生の盛りの猫の命の犠牲の上にその音色を出させてもらっていることを考えたことがあるのかよ。と問いかけたくなりました。ある医学博士が猫の脳と人間の脳とは、非常に似通った構造であると講義した際に、多くの猫達の犠牲の上に今日の脳科学の長足な進歩が成し遂げられたのだと言及されたのとは、犠牲のおかげを認識してくれれば、救われる気分もありましたが、皆様いかがでしょうか。 PASSWORD SECRET SEND DELETE