あれから、いろいろなことがわかってきました
Categoryおかん
あれから、いろいろな方と繋がってお話しして、だんだんと真相がわかってきました。
保護団体G・Hさん以外にも、陰でもままを支えてくださってた重要な2名のお方が。。。
そのおひとりがKさん。
以前からもままの相談相手でもあり、ご支援やいろいろな面で助けてくださってました。
4月にもままの体調悪化を心配されて、LINEやTELで入院を勧めるも、やっぱ猫たちのことが引っかかってたんやろうな、首を縦に振らないもままに、猫を預ける費用を全額支払うので入院してとおっしゃてくださったけど、もままは拒否したそうな。
いま思い起こせば、もままが変わったのは旦那さんが入院した辺りからかな。
それまで、オフ会や梅田阪急の猫フェスにみんなで行くのを楽しみにしてて率先して計画してたけど、それを境にやらなくなったかも…。
猫フェスがはじまる前に、私から「今年は、どうする?」とメールしても、毎年スルーで返事なし。
以前のもままパワーは消えてしまった。
もままはね、旦那さんに支えられて、旦那さんがいてこそがんばってこれたんやと思う。
どこに行ってても、「旦那のご飯を作ってやらなあかんから帰る。」とひと足先に帰るくらい大切にしてた存在でした。

おとうちゃまの遺骨が帰って来た
パウダー状になって小さくなったけど、それでも側にいると思うと安心出来る
49日が過ぎたら1袋は海葬して、もう1袋は帰ってくるまで海葬してやらへん
明日からまた、おはようもお休みも言えるね、元気になれそうやで
いつまで経っても一人立ち出来ん嫁って情けないなぁ

ひとりぼっちになって、たくさんの猫たちの責任が肩に重くのしかかってきて、追いつめられて、生きる気力を失くしてたのかな。
倒れてから10日目のレスキュー。
もっと早くに電話くれてたら・・・ もままとココちゃんを失わずに済んだのかも知れへん。
もうひとりの陰で支えてくださってた方は、保護団体G・Hさんに所属するFさん。
もままの保護した子猫たちが次々に亡くなっていくのを見るに見かねて、2年以上前から手を差し伸べてくださってた。
それからというもの、もままが保護した子猫たちのミルクボランティア 兼 里親募集まで面倒をみてくれてはったとか。
ご近所やったのもあったのかな、預かりさんを越えて、もままとはいいお友達でいてくださったと思う。
そのFさんに、4月26日の早朝にもままから電話があって、助けてほしいと。
ひとりじゃ心細くて、保護団体G・Hの代表さんと駆けつけたFさん、居間で倒れたままのもままを発見。
とりあえず、猫を逃がしてはいけないと、二階のドアを閉めるも猫たちは階段をおりてくるし・・・
なんで?と思ったら、ドアに穴が開いてたみたい
救急車呼ぶ ⇒ 隊員が中に入る時にすかさずドア閉める ⇒ もままが運び出される時に玄関先で猫を防御
25匹もの猫を逃がさないようにするのはたいへんやったと思う。
そこで、もままがKさんが費用を出してくれるからとFさんに伝えて、G・Hさんに猫たちの預かりをお願いしたい…となった訳ですね。
前々回の記事を書いた辺りでは、ここの繋がりがわからなかったので、ちぐはぐな内容となりましたことお詫びいたします。
それからというもの、天井裏を占拠してる家庭内野良含む家猫25匹を捕獲救出するため、及びその間の餌やりに通ってくださったのと、救急搬送される以前に誤ってもままが脱走させた猫1匹の捕獲に通うこと約1カ月。
それだけでもたいがいやのに、もままが退院して帰って来たら住めるようにと、G・Hの代表さんやメンバーさんたちが荒れ果てた家をお掃除・お片付けしてくださってた
その上、自宅の環境を整えるのが困難だったら、もままの自宅の近所にあるG・Hさんの事業所に住んでもいいって・・・。
ここまで出来る人ってなかなかいないですよね。
ほんまに、感謝しかないです。そして、申し訳なかったです。
もままが虹の橋を渡ってからも、Fさんは、私らとおっちゃんとの間に入って話してくれたり、公園・海の子のフードを運搬してくれはったり、他にもいろいろと動いてくださってとても助かってます。
Kさんも、相談にのってくださったり、公園・海の子に足らずの分のフードを送ってくださったりと、お世話になりっぱなしですみません。
そして、代表さん、多頭飼い崩壊の保護が続くなか、もままの願いを叶えてくださって感謝しています。
もままは、生前 保護施設に見学へ行ったとき、もしも自分の身に何かあったら保護団体G・Hさんにお願いしたいって言ってたんよね。
このお三方がいてくださったこそ、もままが安心して旦那さんと猫たちと一緒に虹の橋を渡れたんやと思います。
ほんまにありがとうございました。
次回、「ホームレスキャットがピンチ!」へ続きます。
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ありがとう○┓
保護団体G・Hさん以外にも、陰でもままを支えてくださってた重要な2名のお方が。。。
そのおひとりがKさん。
以前からもままの相談相手でもあり、ご支援やいろいろな面で助けてくださってました。
4月にもままの体調悪化を心配されて、LINEやTELで入院を勧めるも、やっぱ猫たちのことが引っかかってたんやろうな、首を縦に振らないもままに、猫を預ける費用を全額支払うので入院してとおっしゃてくださったけど、もままは拒否したそうな。
いま思い起こせば、もままが変わったのは旦那さんが入院した辺りからかな。
それまで、オフ会や梅田阪急の猫フェスにみんなで行くのを楽しみにしてて率先して計画してたけど、それを境にやらなくなったかも…。
猫フェスがはじまる前に、私から「今年は、どうする?」とメールしても、毎年スルーで返事なし。
以前のもままパワーは消えてしまった。
もままはね、旦那さんに支えられて、旦那さんがいてこそがんばってこれたんやと思う。
どこに行ってても、「旦那のご飯を作ってやらなあかんから帰る。」とひと足先に帰るくらい大切にしてた存在でした。

おとうちゃまの遺骨が帰って来た
パウダー状になって小さくなったけど、それでも側にいると思うと安心出来る
49日が過ぎたら1袋は海葬して、もう1袋は帰ってくるまで海葬してやらへん
明日からまた、おはようもお休みも言えるね、元気になれそうやで
いつまで経っても一人立ち出来ん嫁って情けないなぁ

ひとりぼっちになって、たくさんの猫たちの責任が肩に重くのしかかってきて、追いつめられて、生きる気力を失くしてたのかな。
倒れてから10日目のレスキュー。
もっと早くに電話くれてたら・・・ もままとココちゃんを失わずに済んだのかも知れへん。
もうひとりの陰で支えてくださってた方は、保護団体G・Hさんに所属するFさん。
もままの保護した子猫たちが次々に亡くなっていくのを見るに見かねて、2年以上前から手を差し伸べてくださってた。
それからというもの、もままが保護した子猫たちのミルクボランティア 兼 里親募集まで面倒をみてくれてはったとか。
ご近所やったのもあったのかな、預かりさんを越えて、もままとはいいお友達でいてくださったと思う。
そのFさんに、4月26日の早朝にもままから電話があって、助けてほしいと。
ひとりじゃ心細くて、保護団体G・Hの代表さんと駆けつけたFさん、居間で倒れたままのもままを発見。
とりあえず、猫を逃がしてはいけないと、二階のドアを閉めるも猫たちは階段をおりてくるし・・・
なんで?と思ったら、ドアに穴が開いてたみたい

救急車呼ぶ ⇒ 隊員が中に入る時にすかさずドア閉める ⇒ もままが運び出される時に玄関先で猫を防御
25匹もの猫を逃がさないようにするのはたいへんやったと思う。
そこで、もままがKさんが費用を出してくれるからとFさんに伝えて、G・Hさんに猫たちの預かりをお願いしたい…となった訳ですね。
前々回の記事を書いた辺りでは、ここの繋がりがわからなかったので、ちぐはぐな内容となりましたことお詫びいたします。
それからというもの、天井裏を占拠してる家庭内野良含む家猫25匹を捕獲救出するため、及びその間の餌やりに通ってくださったのと、救急搬送される以前に誤ってもままが脱走させた猫1匹の捕獲に通うこと約1カ月。
それだけでもたいがいやのに、もままが退院して帰って来たら住めるようにと、G・Hの代表さんやメンバーさんたちが荒れ果てた家をお掃除・お片付けしてくださってた

その上、自宅の環境を整えるのが困難だったら、もままの自宅の近所にあるG・Hさんの事業所に住んでもいいって・・・。
ここまで出来る人ってなかなかいないですよね。
ほんまに、感謝しかないです。そして、申し訳なかったです。
もままが虹の橋を渡ってからも、Fさんは、私らとおっちゃんとの間に入って話してくれたり、公園・海の子のフードを運搬してくれはったり、他にもいろいろと動いてくださってとても助かってます。
Kさんも、相談にのってくださったり、公園・海の子に足らずの分のフードを送ってくださったりと、お世話になりっぱなしですみません。
そして、代表さん、多頭飼い崩壊の保護が続くなか、もままの願いを叶えてくださって感謝しています。
もままは、生前 保護施設に見学へ行ったとき、もしも自分の身に何かあったら保護団体G・Hさんにお願いしたいって言ってたんよね。
このお三方がいてくださったこそ、もままが安心して旦那さんと猫たちと一緒に虹の橋を渡れたんやと思います。
ほんまにありがとうございました。
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